自分を大切にする方法

一緒に探しませんか?

あれから2年半

初めてセラピールーム・ソラへ行った日から約2年と半分が経ちました。

 

えーもうそんな前なんだ、、、!

 

月日が流れるのはあっという間ですが

なんとなく幸せであっという間だったように思います。

 

 

今の私は、誰かといることが喜びです。幸せも感じます。

もちろん時には、悩むことも、凹むこともあります。

やっぱり理想の自分とは程遠いけどそれでもいいでしょう。

(それでいいと言い聞かせているところもまだある。。。笑)

 

どん底からは抜け出せた。頑張れた自分を誇りに思います。

 

相変わらず不安との戦いだってあります。

漠然とした不安って、本当に困る。

正解の道は分かっていると思うから、後は勇気を出して、それを行うだけです。

 

ただ、おかしなことに、自分の中には

絶対に悪いことが起こると分かっている方が 安心

みたいなクセがあるんですよね。

 

ダメ男にひっかかるときもそうなんですけど。

自分が大切にされないってハナから分かってた方がいい みたいな。

 

 

でもこんな自分はやめるって決めたから。

ずっといた場所から新しい概念へ飛び込みのは勇気がいるけど、今、私はこの選択から一歩踏み出すところです。

 

当たり前に大切にされて

自分の気持ちを素直に言えて

当たり前に受け止めてもらえる

この人に言っても大丈夫だと思える

 

私にとって、自分の気持ちを相手に伝えるってものすごく勇気が要ります。

でもこういう関係性を自分で作っていくんですよね。

自分のために、選んで、考えて、伝えて。めーーーーちゃ労力使いますが。。。

昔はこの労力を人のために使ってました。だから疲れちゃったんだよね。

 

 

この苦労を惜しんではいけない。

自分のためにやらないと。

そうじゃなきゃ、自分に優しいとは言えないよね。

 

 

大丈夫。自分が自分の一番のチアリーダーでありたい。

(高校のころチア部だった。笑)

相手を信じてみよう。ダメだったらそのとき考えよう。

 

悪いことが起きるかもって予感 と 良いことあるって予感

確率はどっちも同じだよ。だったらいい方信じていいじゃない。

 

不幸な自分に飽きたので。

2020年なんだか大変な年になりましたね。

今年はセラピールーム・ソラで生まれ変わって2年目の年でした。

 

言うなれば、私はまだ2歳です。笑

 

今までとガラッと考え方を変えてやるぞ!

そう思い立ってから今日まであっという間でした。

どうしてそう思ったのかというと、、、

 

不幸な自分に飽きたから

 

笑。

 

ある日ふと

「なんでこんな不幸なんだよ?!?!怒」

と。もはや怒りにも似た感情が湧いたのです。笑

 

つらいつらいと 言い続けることすら つらくなってしまった

 

こんな感じです。

 

 

「これで変わらないなら、本当にこの世から去ればいい。」

 

ある意味、吹っ切れたような気持で

セラピールーム・ソラの門を叩いたのでした。

大正解でしたね!笑

 

 

 

そこからはたくさんの変化がありました。

変化を感じるたびに、狼狽えたり、凹んだり、泣いたり、、、笑

これらを通して、

 

どんなに考え方が変わっても

私の心の根本は、相変わらず傷つきやすくて優しいのだ

 

と知りました。

そして、そんな自分を守れるようになったことで随分と楽に生きられるようになりました。

 

 

 

今の私は、自分を大切にしていると自信をもって言えます。

道を間違えそうなときに、人に頼れるようにもなりました。

 

完ぺきとは程遠いですが。完ぺきであろう とはもう思いません。

 

 

自分を否定して、ダメだしして、粗探しして、、、、

そんな不幸な自分にはうんざり。

 

幸せな自分のことは気に入っています。

愛し方が上手になった??

自分を好きになっていくと、人に求めることがほとんどなくなりました。

 

もっと言うと

あげたいと思うようにもなりました。

でも、その人にとっての幸せは、その人にしか分からないから。

 

私が人にあげられるのって

時間とか、感謝とか、その場を楽しむこと

みたいなぼんやりしたものばかりです。

 

私にできることは、ただ幸せな選択をしてくれるようにお願いすることだけ。

とても無力です。

 

 

 

失って初めてその大切さが分かる

 

ってよく言いますよね。

 

終わりが来るなんて全く考えてなかったから

もう今までのようにはいかないなんてあまりにも寂しい。

 

かと言ってさよならを言うには

あなたが好きすぎる。

 

どうしようもないね。

愛してしまったから。

 

 

たとえ相手が私じゃなくとも、あなたに幸せになってほしかった。

 

だから余計に悔しいよ。

 

そんなことなら、相手は私で、よかったじゃない。

 

 

幸せから目を背けるあなたがもどかしい。

 

でも私にはどうすることもできない。

あなたの選択をただそのまま受け止めるだけ。これが私にできる精一杯かな。

 

私の精一杯の愛情表現は地味で、気づかれにくくて、伝わるには弱すぎたみたい。

私は愛を伝えることを怖がってしまった。

 

 

まとまりの無い文章。いつか読み返して馬鹿だなぁってニヤニヤできるように。

今の幸せをかさねていこう。

毒親に愛情をみつけられるか

前回の続きです。 

 

ego-fam.hatenablog.com

 

 

さて、愛を伝える5つの言語を考えるにあたり

毒親に愛情をみつけられるか」というテーマを設けました。 

というのも、私は幼少期から「自分は愛されていない気がする。きっとこんなの本当の家族じゃない。だからしょうがないんだ。」と自分に言い聞かせて過ごしてきました。この本を読んだ今、当時の想いを改めるチャンスだと思ったのです。 

 

 

それでは『愛を伝える5つの方法』を頼りに親の愛情を発見することは可能か検討しましょう。

結論を導くにあたり、以下の順を追って考察します。 

 

1、  愛を伝える5つの言語とは 

2、  ラブタンクという概念 

3-1、当テーマにおける毒親の定義 

3-2、モデルケース~我が家の愛情表現を考える~ 

4、  この本の弱点について 

5、  結論 

 

 

 

1、愛を伝える5つの言語とは 

 

著者ゲーリー・チャップマンがまとめた5つの言語と簡単な説明をご紹介します。 

 A・・・肯定的な言葉(感謝を伝える、褒める、自分の気持ちを言葉にする) 

 B・・・クオリティ・タイム(共同作業、同じ時間を過ごす、心の通う時間や話し合い) 

 C・・・贈り物(金額に関わらない、相手を喜ばそうと思って選んだもの、特別な日でなくても良い) 

 D・・・サービス行為(主に家事や子供の世話等の家庭内で発生する生活上必要な作業) 

 E・・・身体的なタッチ(手を繋ぐ、ソファにくっついて座る、ハグやキス、夜の営みとは別の触れ合い) 

 ※かなり簡略化しております。本を読んでいただいたらより一層理解が深まります。 

 

これらが基本となり、人によって表現が様々なことは愛の言語の方言として捉えます。 

どんな方言も元を辿ればこの5つのどれかに当てはまるはずです。 

また、最も得意な言語=愛の第一言語が誰しも決まってあります。(2つある人もいる。) 

 

 

ここで注目したいのは愛の言語は遺伝や環境に左右されないということです。 

親子でも愛の言語は異なります。 

親子関係ではつい親→子への愛情に目がいきがちですが、 

子→親への愛情を忘れてはいけません。 

むしろ子供の愛情表現の方がずっと分かりやすいかもしれませんね。 

 

ありがとうや嬉しい気持ちを言葉にする子だったらAタイプかもしれない。 

今日学校であったことを一生懸命話す子はBタイプかな。 

折紙を折ってくれる子はもしかしてCタイプ? 

お手伝いをしたがる子はDのサービス行為が愛の第一言語かもしれない。 

Eタイプだからスキンシップが多いんだな。 

 

このように普段の言動・行動から推測することができます。大人も同様です。 

 

 

もし「愛の無い家庭で育ったから愛情が分からない」と思っている人には朗報です。 

愛の言語が遺伝や環境に左右されないのであれば大人になってからでも自分の中に愛情を見つけることが可能だということです。 

 

そして、子が親と異なる愛情表現をするということは

それは自分が生み出した愛情だということ。

「親に愛されなかったから愛し方を知らない」というのは真っ赤な嘘です。 

 

育つ過程で隠れてしまっただけで本当は自分にも愛があると希望が持てます。 

愛情表現と愛の言語~読書感想文『愛を伝える5つの方法』

 

『愛を伝える5つの方法』 ゲーリー・チャップマン/著

を読んだ感想をつらつらと書きます。

 

 

好き同士で付き合ったはずなのに、恋人に愛されてる気がしない。

もう何年も一緒にいるから好きかどうかもよく分からない。 

もっと愛されている実感が欲しい。。。 

 

世の中にはこんなカップルたくさんいます。 

 

やっぱり愛情っていつかは無くなるものなのでしょうか? 

お伽噺のように末永く幸せに暮らすのって物語だから成立するのでしょうか? 

 

この本はそんな疑問を解消する手助けとなるでしょう。 

 

 

結論から言うと、 

やっぱり愛情っていつかは無くなるものなのでしょうか? 

お伽噺のように末永く幸せに暮らすのって物語だから成立するのでしょうか? 

⇒愛情は無くならない。しかし幸せに暮らし続けるには自分の意思で選びとる必要がある。 

 

 

そもそも愛情表現って、育ってきた環境やその人の性格によって異なりますよね。国によっても全く違います。 

そんな無限にあるかと思われる愛情表現がたった5つに分類されることから本書は始まります。 

この5つを「愛を伝える5つの言語」と言います。 

 

例えば私の最も得意とする愛の言語がAタイプだとします。 

これは伝えるのも受け取るのもAが得意です。 

このとき恋人もAタイプで一緒だった場合、互いの愛情がバシバシ伝わります。 

ところが、恋人がBタイプな場合。いくらやっても相手に伝わりません。 

日本語とロシア語で会話するくらい伝わらないと思ってください。 

 

外国人同士のコミュニケーションは身振り手振りで意思疎通を図ることもできますが限界がありますよね。

レストランで食事くらいならできても、

カップルの仲を深めたいならこれでは大変すぎます。 

 

そして、この言語の違いがカップル間のすれ違いに繋がるというのです。 

 

では、すれ違いを無くし幸せなパートナシップを築くためにどうするのか。 

本書にはこうあります。 

「結婚相手の愛の一次言語を見つけ出すこと、そしてそれを話せるようになることが、末永く愛情に溢れた結婚生活を送る鍵です。」 

 

 

つまり、Aタイプの私がBタイプを学ぶことで愛情が伝わるようになるということです。 

そう。正確に意思疎通するために、ロシア人にロシア語で話しかけましょう。 

 

では気になるその愛を伝える5つの言語とは? 

 

 

次回に続きます。 

セラピールーム・ソラ体験記~あれから一年経ちましたね。~

かなり間があいてしまい久しぶりの投稿です。 

なんと、あのNew私に出会った日から1年が経過しました!

わぁぁぁ振り返るともう何年も昔に感じます。

 

1年前の自分へ。

おめでとう。

あなたはその後何もかも変わっていきます。

安心してください。

心にある「今自分で死ぬか、早めに死が来るのを祈るか、これからの日々をどう耐えようか」なんて気持ちは忘れ去ります。

ずっと知りたいと思っていた幸せを感じる方法が解るようになります。

ある日、ふと自分が価値あるものに思えて泣ける日がきます。

おめでとう。

1年後の自分より。

 

 

近況を報告しますと、私は無事、ニートとなりました。 

もう満員電車に乗らなくていいんだ!最高だなぁ。 

 

自分がどんな風に働きたいかじっくり考えてみます。 

とはいってもすぐにやる気もでないため 

今はほとんど家でのんびり読書し、犬の散歩に出かけるくらいで、、、 

すっかりニートが板についてきました笑笑 

 

ニート歴はそろそろ3か月目に突入するとことですが 

不思議なものでこれだけだらだらしていると少し働きたくなります! 

でもまだ働きません!笑 

 

 

ニート生活のなんとストレスフリーなことでしょう。 

自分が会いたい人にだけ会えば良いってなんて楽なんでしょう。 

毎日昼寝ができるってなんて贅沢な暮らしだろう。 

 

思えばこれは人生で一番休んでいる期間に間違いありません。 

 

 

 

 

ほんとーーーーーーに 

よくがんばりました私。 

お疲れさま私。 

たまには休んでいいじゃん。 

 

体の疲れは寝たらとれるかもしれない。 

でも心の疲れはどうかな。 

 

 

自分に発破をかけ続け生きてきた25年間。 

ただ辛かった。 

 

それに気が付いたからこそ 

これからは自分を急かすような真似しません。 

休みたいだけ休もう。 

セラピールーム・ソラ体験記~11か月経過~

 ふと気がつくと 

今までにない考えが頭に浮かびます。 

 

 

例えば忘年会の幹事をやってみて、 

 

こんなにたくさんの人が参加してくれて嬉しい。 

自分一人ではこんなにも笑える出来事は起きなかっただろう。 

みんなが楽しそうでよかった。 

一緒に幹事をしてくれた友達の存在はかけがえのないものだ。 

この人たちと出会えたのは本当にラッキーなことだ。 

 

 こんなことが自然に浮かぶので 

自分でもびっくりしています。笑 

 

 

一方で、すぐに凹んだりくじけそうになったりすることも沢山あります。 

悔しいけれど、私は完ぺきとは程遠いとても弱い人です。

一人では不安だしできないことだらけです。 

嫌なことからは逃げてばかりです。 

 

でも何より辛いのは 

弱い自分を自分が認められていないことです。 

 

せっかくここまで元気になったのに、そこでまた意地悪な人が言うんです。 

「まだ、治らないの?」 

「何もかもポジティブに変換できちゃうメンタルはまだ?」 

「不安じゃなくなるのはいつなの?」 

「ねぇ、完ぺきな私になるのにあとどれくらいかかるの?」 

 

 

油断するとこんな声に支配されています。 

25年分のクセはなかなか消えないものですね。 

ゆっくり改善していこうと思います。不完全な私だから愛しいと思える日がきますように。 

 

 

クセといえばもう一つ。 

最近、自分が変わったからでしょうか、人間関係に変化が生じてきました。 

さらに仲良くなれる場合と、異常に辛くなる場合があります。 

前者はうれしい限りですが後者は心が痛みます。 

 

しかも不思議なことが一つあって、 

辛く感じるようになった人間関係ほど、手放すのが寂しくてすがりつきたくなるのです。 

 

このすがりつきたくなる人間関係の特徴は 

「自分を偽っている度合いが高いこと」 

「相手の理想に合わせていること」 

「嫌われたら終わりと想像がつくこと」 

です。 

 

なんだか身に覚えがありますね。そう、親との関係性にそっくりです。 

 

こんなところにも、私の悲しいクセは染みついているのだなぁ。 

気が付けるようになっただけ良しとしましょう。 

 

 

 

もしその人と過ごしていて辛いと感じるならば、 

その気持ちは本物です。 

自分が弱いとか、自分が馬鹿だからとか、我慢すればいいとか、いつかは相手にも伝わるかもとか、、、、 

そんなの全部幻想です。 

 

どんな理由も必要なく、辛いものは辛いのです。 

 

辛いと思った自分の気持ちをそのまま受け取ってください。 

そしてもう二度とそんな思いをしないようにしてあげてください。 

自分に優しいってそういうことです。 

 

不安な人間関係ほど慣れててやり易いでしょう。 

だからこそ惹かれてしまうんですよね。 

 

 

でも私が心から欲しい関係はそれでしょうか? 

 

違うよね。 

これから先の人生を一分一秒幸せと愛で溢れて生きたいから。 

今の私ならどっちがいいか分かるはずだよ。